興山寺のご案内
興山寺縁起
聖地高野山が開山の地
興山寺の縁起は、戦国時代の弘法大師が開創された聖地高野山まで遡ります。
木食応其上人が開基
天正13(1585)年、豊臣秀吉により天下統一が進められていくなかでの紀州攻めにより、高野山まで兵火がおよぼうとしている窮地のなか、根来にあった秀吉陣に謁見し和議を結び高野山を救ったのが、興山寺開基の木食応其上人です。 応其上人は、この交渉の場においてから秀吉より篤い信頼をうけ、高野山は応其上人を介して庇護されることとなります。
後陽成天皇から賜った勅額

興山寺は天正18(1590)年 、現在の金剛峯寺別殿の地に創建されました。天正17(1589)年より諸国に勧進し集まった施財で建立し、秀吉からも一千石寄進されました。 客僧坊または論議法談の場として建立され、高野三方(学侶方、行人方、聖方)のうち行人方の本寺となる。 この時の天皇、後陽成天皇から「興山寺」の勅額を賜って天皇の命によって国家安泰などを祈る勅願寺となりました。 (写真の扁額は複製だと伝えられております。)
高野山より豊後臼杵の地へ
明治になって興山寺は青巌寺と合併し金剛峯寺と呼ばれるようになりました。
由緒ある名刹の廃寺を惜しんだ当時の傑僧山縣玄浄僧正は、臼杵稲葉氏の協力を得て、現在の大分県臼杵市に高野山より寺号を移し、臼杵将来の繁栄を計り、九州末代の信仰をさかんならしめんとするための、根本道場とし再興を計りました。
臼杵の地においても、高野山から移ってきた寺という意味で、地元の人たちからは寺号よりも山号の「高野山」と呼ばれ、親しまれております。また、現在では當寺は九州八十八ヶ所百八霊場会弟二十八番札所、九州西国観音霊場特別札所として、一年を通して多くの方々が巡礼に訪れています。
興山寺住職
講演会をお考えになられている企業・学校・団体・地域の主催者並びにご担当者さまへ
興山寺住職岡部観栄による講演を承ることができます。 當山住職の多岐に渡っての要職の経験からお話をさせていただきます。 住職から発せられる言葉は、必ずや聴講される方々のこれからの人生のお役に立つことができます。
例、宗教・教育・日本人の心等 お問い合わせの際に講演内容、日時場所等の詳細をお伝え、ご相談ください。
高野山真言宗権大僧正 岡部観栄 興山寺住職
主な要職歴
公益社団法人 日本PTA全国協議会会長(第26代)
文科省文化審議会国語分科会委員
臼杵市教育長
高野山高等学校校長
現要職
高野山真言宗 本山布教師
高野山真言宗 等覚院 兼務住職
高野山真言宗 長谷寺 兼務住職
臼杵市仏教会 会長
公益財団法人 日本相撲協会 監事
一般社団法人 都市環境整備機構 顧問
日本PCA教育振興会 相談役
興山寺の寺宝
高野山からの寺宝
興山寺が高野山から移転した時持ち運ばれた仏像をはじめ各種の品が約250点が寺宝としてございます。
一部ではございますが寺内にて安置させていただいておりますので、ご来寺の際は是非拝んでください。 但し、當山御本尊無量壽如来は秘仏とさせていただいております。 本堂内陣の弘法大師御尊像は毎年正御影供(旧暦3月21日)に御開帳させていただいております。
千手観音像
十一面観音像
如意輪観音像
弁財天像
毘沙門天像
不動明王像
弘法大師像
不動明王像
弁財天像
境内案内
興山寺は国道より入った小高い山の上にございます。
以前は麓から徒歩での参拝となっておりましたが、現在では車道が境内まで通っており、境内には本堂・水子地蔵堂をはじめ、客殿や開山堂などがございます。
開山堂
興山寺を高野山より臼杵に移した山縣玄浄僧正をお祀りしております。
本堂
境内右方に本堂があり、ご本尊は無量寿如来です。
本堂内陣
本堂内陣です。さまざまな祈祷・供養を執り行います。
水子地蔵堂
お地蔵様をおまつりして主に水子供養を勤めております。
客殿
客殿正面には九州西国観音霊場御本尊十一面観音をお祀りしております
客殿
客殿のふすまには理趣経が書かれております。
新客殿
平成25年に本堂裏手に建てられた新客殿です。
新客殿
大広間の襖には十六羅漢図が表装されています。